はじめまして。ニックネーム:がちゃぴん、46歳、女性です。
その他関節機能障害(全身性関節弛緩)で2種3級の肢体不自由障害者です。
そもそもの経歴は20年前にさかのぼります。1回目の手術は20年前、26歳の冬で右外側半月板損傷で関節鏡と皮下切開での半月板縫合でした。OPE後も激しい痛みが続き、2ヶ月で退院しましたが片松葉杖が1年続き痛みも増強し、違う病院で2回目の関節鏡検査を受けましたが異常無しで筋力強化のリハビリに入りましたが、痛すぎて歩けるどころか1週間痛みで熱発し、体は弱る一方で半年間の入院後両松葉杖で強制退院させられ、実家の近くの病院で診察を受けたところ、外側は治癒しているが、関節鏡の内側の刺入点が高すぎておそらく内側の半月板を損傷しているから歩けない可能性があると診断され、即入院、1週間後に3回目の手術をまたまた違う病院で受け、関節包と半月板の移行部がボロボロで縫合しておいたと説明されました。1年半良好でしたが、不幸にも今度は左膝をない出血する捻挫をして、こちらもまたまた違う病院で関節鏡を受け、ACL(前十字靭帯)の断裂が見つかりましたが、再建できないと言われ、そのまま保存療法を行いましたが、入院中車椅子生活でも右膝に負担がかかり、痛み出したので3回目に手術した病院に転院して、右膝の4回目の手術をしました。縫合糸が癒着していたので抜糸したのです。これで、右膝は完全に良くなりましたが、左膝は、強すぎるリハビリで骨萎縮が起こり、関節鏡(手術6回目)も行いましたが、靭帯はいじらずリハビリで半年間入院生活を余儀なくされました。結局、右膝は1回で済むはずが4回しないと治りませんでした。
左膝の骨萎縮が画像上からも消えてきたのが1年後で、その後は3年くらい元気に過ごしていました。
33歳のとき、サンダルが脱げるなど右足首の不安定性がひどくなり、3回目の手術の病院に行くと、もう関節がない状態で骨膜で再建する手術を受けました。この時、更正医療を受けるため2種5級の認定を受けました。これで7回目の手術です。右足首は治りましたが、今度は左足首に負担がかかり最初は注射で治療していました。でもひどくなり、半年後に左足首の腱移行術を受けました。(8回目)このあと左膝の機能障害を申請して、4級となりました。その後、足は時々痛むものの、2年ほどは無理をしなければ日常生活は可能でした。
36歳の時、身障者のスポーツ教室に通っていたのですが、左肩が痛くなり腫れとシビレが出てきてCT造影の結果、関節唇の断裂が見つかり、縫合のため9回目の手術を自分の勤務する病院で受けました。術後1週間位から激しい咳と、高熱を出したのですが、風邪だといって治療されず入院していました。次第に以前手術した場所が痛み出し、動けなくなり、この頃唯一使えていた右肩がぽきぽきなるようになったと思ったら翌朝ベットのリモコンを取ろうとして頭上から右手を振り下ろしたところ今まで経験したことのないバキッという音と共に激しい痛みが襲い、3人の整形外科医に訴えたが、そんな動作で関節が壊れることは絶対無いと治療どころか、検査もされず、3回目の手術した先生に受診に行って感染症による関節炎と診断され、やっと抗生物質を服用しましたが、完全には治らず右肩はステロイド注射と坐薬でも痛みが治まらないまま、退院しました。その後右肩は1年後に腱盤疎部損傷が、4年後にMRIで肩甲下筋の断裂がそれぞれ違う病院で見つかり、肩甲下筋を修復するOP予定でしたが、結果的にしてもらえず、右手は拘縮しほとんど痛みで動かせませんでした。右肩の損傷から4年後にはたまた違う病院の77歳のベテラン先生に拘縮をはずす手術(10回目)を受け、痛みは軽減し動かせるようにはなりました。(40歳)。しかし、上半身の筋肉全体がつっている状態に悩まされることになりました。針、アロマ、温泉、深層水パックなど自然療法で少しは軽減するものの、完治はしませんでした。2年後には左足首の不安定症を右肩と同じ先生に骨移植固定術をしてもらいました。(11回目)半年後に抜釘術(12回目)を受けました。その後2年間は何とか生活できましたが、45歳時、風邪症状から全身の関節が痛み出し、動けないし咳は止まらないと言う状態が1年半続き、精神科への入院を余儀なくされ1ヵ月半は閉鎖病棟に閉じ込められました。この間痰はバケツ10杯以上出たと思いますが、現在も少し出ています。おそらく、10年前の風邪が原因と思われます。精神病名でも仕事を休むことでかなり回復し、昨年夏から半日勤務、秋から6時間勤務課可能となりました。そのころの11月に加茂先生のことを知り、14日に初診したら、典型的なMPSだと診断され、今も2週間に1度車で往復7時間かけて通院しています。加茂先生の診断と治療で精神病ではないと言う証明も出来、仕事も続くようになり、本日より正式に復職できました。まだまだ治療は必要ですが、さらに良くなる可能性にかけて日々を前向きに生活しています。
